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 章 1
敵を知らなければならない理由

若い皆さんがこれまで知らなかったかもしれない、神のみことばの真理をいくつかお教えしたいと思います。 それは、私たちの魂の敵についてです。

 皆さんは救いについて、また主イエス・キリストが私たちのためにしてくださったことについてはたくさん聞いてこられたかと思います。 しかし、サタンについてあまり聞いたことがないのではないでしょうか。なぜなら、説教者のほとんどはサタンについて説教することを好まないからです。

 しかし、私はサタンについて話したいと思います。なぜなら、聖書は1ペテロ5:8で次のように言っているからです。

 「 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」 

 戦いにおいて最も重要な原則の一つは、敵を知ることです。 戦いの中で、敵についてたくさんの情報があれば、その戦いは容易になります。 敵についてほとんど知識がなければ、戦況はさらに難しくなるでしょう。

 あるいは、別の例で言えば、テストで出題される問題をすべて事前に知っていれば、テストはずっと簡単になります。

 それは、クリスチャンの生活でも全く同じです。 敵を知っていれば、敵に打ち勝つことができ、あらゆる誘惑においても圧倒的な勝利者となることができます。

 イエスに従おうとして悪戦苦闘しているにもかかわらず、挫折してしまう信仰者がたくさんいます。 その主な理由の一つは、彼らが敵について無知であることです。

 医学の研究が重要であることは誰もが知っています。 私たちの世代では、医学はたくさんの人々の病を治し、また、多くの人が早死から救われてきました。 これは医学者が人体の敵とその攻撃方法について徹底的に研究した結果です。

  健康の敵である細菌とウイルスについての熱心な研究によって、人間の健康は改善されてきました。 科学者たちは、健康の敵を殺し人体から取り除くことができる薬を発見しました。

 私たちの肉体において真実であることは、私たちの内なる霊においても真実です。 私たちがサタンを私たちの霊から追い出し、神のためにそれを清く保つためには、私たちの霊の敵であるサタンについても学ぶ必要があります。

 聖書は、サタンについて多くのことを語っています。 聖書の中で実際、アダムとエバの創造の後に出てくるのはサタンです。 聖書には、アダムとエバがエデンの園で何をしたかについては何も書かれていません。 しかし、その直後、サタンがその園に来て罪と混乱をもたらし、アダムとエバを神から引き離したことが書かれてあります。

 今日の世界に存在するすべての罪、暴挙と悪の原因は、サタンがエデンに侵入したことにあります(創世記 3 章)。

 聖書はなぜ、男女の創造、そしてその後すぐにサタンについて述べているのでしょうか。 それは、私たちがサタンについて知り警戒することを神が望んでおられるからです。

 サタンは吠えるライオンのように、食い尽くすべき者を求めて歩き回っています。 もし、本当にライオンが動物園から逃げ出し、あなたの街を徘徊していると新聞が報じたとします。ライオンが市内のどの地域にいるのかという情報があれば、その地域を警戒します。同様に、サタンが活動している領域を知っていれば、多くの問題を回避できるのです。

 多くの信仰者は落胆、失望、挫折を繰り返します。 しかし、ここで私たちが理解しておかなければならないことは、落胆は決して神からのものではないということです。 それは常にサタンから来るものです。

 同様に、争い、暴力、憎しみ、嫉妬、恨み、悪口、不平不満、権威に対する反抗、その他あらゆる悪の起源はサタンにあります。 私たちの人生におけるこれらの悪を克服できるように、私たちの敵について知ることは大変良いことです。

 新約聖書の最初のページにはサタンについて書かれています。 イエスが水でバプテスマを受け、聖霊のバプテスマを受けられたその直後に、サタンが荒野でイエスと対峙し、イエスを誘惑したとあります。

 私たちが魂の敵の策略やその力に関して無知にならないために、聖書はここでサタンの動きを説明しています。

 若者にとってサタンについて知ることは大変重要です。聖書がサタンについて何を教えているかを知れば、注意するようになります。 そして他の人のように、サタンを恐れることはありません。

  多くの人は、聖書がサタンについて何を教えているかを知らないので、サタンを恐れます。彼らは、サタンがカルバリの丘で私たちの主イエスに打ち負かされたことを知らないので、人々が自分たちに魔術をかけるのを恐れています。

  主が十字架上で私たちのためにしてくださったことに目が開かれれば、あなたは二度とサタンを恐れることはありません。

 サタンは、イエスが会堂で説教されていた時と同じように、悪霊に取り憑かれた人々を通じてクリスチャンの集会を妨害しようとすることがあります。 しかし、私たちはそれを決して許してはなりません。

  ある時、私たちが集会場で聖書研究会を行っている時、悪霊に取り憑かれた人が蛇のように通路を前の方に向かって這い、集会を妨害しようとしました。 悪霊がイエスの御名によって叱責されると、すぐにその人は、床の上でぐっすり眠ってしまいました。 その会が終わって、私たち全員が最後に「アーメン」と言った時に彼は目を覚ましました。 それから私たちは彼に話しかけました。私たちは、サタンが誰かを通して、私たちの聖書研究会を妨害することを絶対に許すつもりはありませんでした。

 屋外で開催されていた別の大規模な公開集会では、私が非常に重要なことを話している時に、一人の男性が突然説教壇の前で踊り始めました。 私が通訳を通して彼に座るように要求したが、彼は私の要求を無視しました。 そして、私たちはイエスの御名において彼の中の悪魔を叱責すると、その人は歩いて静かに座りました。 そうです、悪霊はイエスの名によって命令されると従わなければなりません。なぜなら、悪霊はすでにカルバリの上でイエスに打ち負かされたからです。

 カルバリの十字架でサタンを打ち負かしたイエス・キリストの御名には大きな力があります。あなたはサタンを二度と恐れる必要はないのです。

  敵を知らなければ、敵に何をされるかわからないと恐れながら生きることになります。 しかし、もしあなたがイエスをあなたの生涯の主とするならば、サタンはあなたに触れることはできません。なぜなら、イエスが十字架上でサタンを打ち負かされた時、サタンの力は完全に剥奪されたからです。

 章 2
サタンの起源

私たちは神が永遠の昔から存在しておられることを知っています。 聖書は「初めに、神が…」(創世記1:1)という言葉で始まります。

 これは永遠の昔のことを指します。私たちの心は時間という概念しか把握できないため、私たちが理解することができないほど昔のことです。 神は時間が始まる前から存在していました。

 しかし、サタンは時間が始まる前には存在しませんでした。 サタンは被造物です。それは、神が悪の存在を創造したという意味でしょうか。 いいえ、それは不可能です。神は決して悪いものを創造することはできません。 神が創造されるものはすべて完璧です。 アダムとエバでさえ、創造された時は完璧でした。

  同様に、サタンも創造された時は完全でした。 当時彼は「明けの明星」、またはルシファーとして知られていました(イザヤ書 14:12)。 今はその名前には悪い意味合いがありますが、彼が最初に創造された時はそうではありませんでした。

 サタンは神を礼拝する御使いを導く頭として創造されました。 神はルシファーを創造された時、超自然的な能力と力を彼にお与えになりました。 しかしその後、彼は罪に陥り、サタンになりました。

 サタンが堕落した際、神はサタンからそれらの力を取り上げられなかったので、サタンは今でもその力を持っています。私たちは、それを疑問に思うかもしれません。 神は通常、与えた賜物を取り戻されません。 私たち人間でさえ、人に与えた贈り物を取り返すことは通常ないでしょう。たとえ、その人がある日私たちに対して敵対したとしてもです。

 そしてサタンはその力を使って人々に危害を加えます。 そしてそれが、彼に触れる人々が魔術を通じて超自然的なことを行うことができる理由です。

 サタンについて書かれていますが、

「 暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。」(イザヤ書14:12)。

 ルシファーは御使いの頭として、常に神の臨在の中にありました。 なぜ彼はそこから落ちてしまったのでしょうか。その理由は次の二節に示されています (イザヤ書 14:13、14、15)。

「 あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』

しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。」

 ルシファーは他の天使たちよりも才能があり、美しく、超自然的な能力を持っていました。 彼は天使たちを率いて神を礼拝していましたが、彼の心にプライドが芽生えてしまいました。それから彼は、「私より上にいるのはただ一人、それは神のみだ。 私は神をも支配できる。」と考えるようになりました。

 ルシファーの心に本当に愚かな思いが浮かんでしまいました。 一体全体、どのようにして、彼は創造主を超えることができるでしょう。 しかし、それがサタンです。サタンはとても賢いにもかかわらず、彼の行動や考え方の多くは非常に愚かです。 世界の賢いと言われる人の中にも、霊的に言えば、全く愚かなことを行っている人がたくさんいます。 サタンについて学べば学ぶほど、サタンの行いの多くがいかに愚かであるかが分かります。

 サタンは、神によって置かれた自分の立場に満足していませんでした。 彼は皆によって崇拝される場所に立ちたかったのです。彼はそのことを口には出しませんでしたが、心の中でひっそりとそんな思いを抱き始めたのです。 それは13節に書かれてあります。しかし、神は私たちの心を見られるお方です。神はルシファーの心をご覧になり、彼が狙っているものをお知りになりました。

 誘惑と罪には違いがあります。 誘惑は最初は心の中で考えとして起こります。 しかし、その考えに同意すると、私たちは罪を犯します。 一方、その考えをすぐに拒否する場合、私たちは罪を犯しません。

 たとえば、公で他の人を引きずり下ろして、自分をより良い人間に見せようと思ったことはありませんか。

 そのような考えを最初に抱いたのは誰でしょうか。 それはルシファーです。 彼は誰を引きずり下ろしたかったのでしょうか。御使いたちではありません。彼らはすでにルシファーの下にいたからです。 ルシファーは神を引きずり下ろしたかったのです。 自分が上に立つために、人を引きずり下ろすのはまさにサタンの霊です。

 そのような邪悪な考えが心に浮かんだ時、敵が自分に侵入しようとしていることを認識しなければなりません。私が敵を知らなければならないと申し上げたのはこのためです。吠えるライオンがあなたを食いつぶそうと待っているからです。

 最高位の大天使が悪魔になるまでに何年もかかりませんでした。 いいえ、一瞬です。 彼は徐々に一歩ずつ落ちていったのではありません。 いいえ、稲妻のように、イエスが言われたように、一瞬で落ちたのです(ルカ10:18)。 ある時、ルシファーは輝いていました。 しかし、彼が神のようになりたいという思いを抱き始めるや否や、彼はすぐに悪魔になりました。

 御使いがサタンになるまでどれくらいかかりますか。1秒もありません。 一瞬です。 本当に善良な人が悪魔のようになるまでどれくらいかかりますか。それも一瞬です。 それを覚えておいてください。

 サタンの起源についてのもう一つの箇所はエゼキエル書 28 章です。そこには「ツロの王」と呼ばれるサタンが記されています (エゼキエル書 28:12)。 この世の支配者の背後には悪霊の力があり、当時、サタン自身がツロの支配者の背後にいたのです。 そして主は、その人間の支配者に潜むサタンに語りかけました。

 主はサタンに、エデンの園にいた時のことを思い出させました(エゼキエル28:13)。 これは、アダムとエバがエデンに来る前に、すでにルシファーがエデンにいたことを示しています。 そして主はサタンに、「 あなたの行いは、あなたが造られた日からあなたに不正が見いだされるまでは、完全だった。」と当時のことを語られます(16、17節)。

 ルシファーの心は、彼の持っていた美しさによって高慢になりました。 あなたは、鏡に映る自分を見ながら、他の人と比べて自分は見た目が良いなどと心が高慢になったことがありますか。それには気をつけてください。

 神があなたに与えてくださった素晴らしい賜物に感謝すべきです。見た目がいいこと自体、何も問題はありません。 しかし、それを誇ることは間違いです。 あなたはサタンへの扉を開くことになるからです。

 ルシファーが高慢になったもう一つの理由は賢さでした。 すべての被造物の中で最も賢いのはサタンであることをご存知ですか。知的であることに何も問題はありません。私たちは、神の栄光のために自分の知性を用いることができます。しかし、私たちにはそれを誇る権利はありません。また、主に仕えるために私たちが愚かになる必要もありません。いいえ、私たちは自分の知性と美しさを神に感謝しますが、どちらも決して誇りに思ってはいけません。

 そして、ルシファーの高慢の第三の理由は、彼が全被造物の中で最高の地位にあったということでした。 彼は、自分が誇りに思っているこれら三つのこと、つまり美しさ、賢さ、地位がすべて神の贈り物であることを認識できませんでした。 そして多くの人、多くのクリスチャンも同じです。認識できていません。 こうしてサタンは彼らの生活に足がかりを築き、最終的に彼らを滅ぼします。

 したがって、世界のすべての罪は高慢から始まったことがわかります。 殺人や姦淫ではなく、高慢です。 だからこそ、イエスがへりくだってくださったことよって救いがもたらされたのです。へりくだりの道は、サタンのあらゆる策略から解き放たれる道です。

 与えられた人生に対する不満の霊の起源はルシファーにあります。 もし、私たちがこの世界を神の視点から見ることができれば、世界は不平不満、文句を言ってばかりの人々で溢れかえっています。皆、この霊をサタンから吸収しているのです。

 権威に対する反抗的な霊もまた、ルシファーから始まったものです。 ルシファーの上にある権威はただ一つ、それは神でした。 そして彼はその権威に反抗しました。彼は神を倒し、その権威の上に上がろうと試みました。

 そのような霊は、私たち人間の間にも存在します。権威に対する反逆の霊が、各国で数々の革命を引き起こし、ストライキなどが起こります。 最近では、学校に通う子供達や、家庭にいる本当に小さな子供たちの間でも、そのような反抗的な霊が見受けられます。

 これらすべては世が衰退していることの確かな兆候です。 教師、両親、さらには教会の長老たちに対する敬意を払わない霊がいたるところで蔓延しています。

 御使いの中の最高位の御使いをも悪魔に変えたのはこの霊だということを、決して忘れないでください。そして、この霊は今日でも善良な少年や少女をサタンに変えてしまいます。

 神は決して人を悪にすることはありません。 私たちがサタンの霊に対して自分を解放してしまう時、私たちは自分自身を悪にしてしまうのです。

 また、ルシファーの別の特徴に注目してください。 ルシファーが落ちて行った時、一人ではありませんでした。 彼には仲間がいました。 黙示録 12:4 には、彼が他の天使の三分の一を引きずり下ろしたことが記されています。 彼らは愚かにも、ルシファーのプライド、不満、反逆の霊に同調してしまいました。それは今日も同じです。 一人が悪である場合、自分一人だけが悪でいることを好みません。 彼は、自分の悲惨さと邪悪さに他を引きずり込みたいと考えます。 他の人が注意していなければ、一人の苦い根が他の多くの人に行き渡ってしまいます(ヘブル12:15参照)。

 章 3
サタンの騙し

創世記 3 章を読むと、サタンの攻撃方法がわかります。

 そこには、蛇がすべての動物の中で最も狡猾であると書かれています。 サタンはその蛇に入りました(イエスがガダラの人から悪霊を追い出された時、悪霊が豚に入ったのと同じです)。 そして、サタンは蛇を通してエバに、「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」と聞きました。 エバが、確かに神が言われたことだと言うと、サタンは神のみことばに反して、「あなたがたは決して死にません。」と答えます。

 サタンがどのようにやって来るかに注目してください。 まず第一に、彼は神のみことばに疑問を投げかけて私たちのところにやって来ます。

「神は本当に、私たちがそんなことをしてはならないと言いましたか。」と問い、こう続けます。「これらの聖書の戒めは昔のことで、使徒パウロが生きていた時代とその文化に合わせて書かれたものです。二十世紀の私たちが文字通り従うことを意図したものではない。」

 若い人も年配の人も、常にこの問いを繰り返していますが、自分たちがサタンの代弁者になっていることにほとんど気づいていません。 良心が何かおかしいと告げたとしても、彼らは依然として理性を働かせ、神が禁じたことに疑問を持ち続けます。

 神がみことばの中で何かを命じたり禁じたりする時、それにはなにか正当な理由が神にはあるのだと確信すべきですが、サタンはいつも私たちに、神が本当にそのように言ったのかなどと疑問を抱かせます。サタンの目的はなんでしょうか。エバの場合とまったく同じです。それは、私たちを主から引き離し、アダムとエバのように私たちが神から突き放され、追い出されることです。

 イエスはかつて、サタンは盗人であると言われました。 サタンはお金に永遠の価値がないことを知っているので、お金には関心がありません。 彼は永遠の価値を持つもの、主に人の魂だけを手に入れようとします。 イエスはさらに、サタンは盗んだ後、盗んだものを滅ぼすと言われました(ヨハネ10:10)。 そしてそれとは対照的に、イエスご自身が私たちに豊かな命を与えるために来られたとも言われました。

 人口55億人の世界で99%以上の人々が、イエス・キリストを信じて神のみことばに従うよりも、サタンの偽りを信じてサタンに従うことを選んでいるという事実は本当に驚くべきことです。 そこには、神のみことばに従わなくてもたいしたことではないと人々に思い込ませようと、サタンがどれほど尽力したかがわかります。

 人が初めてアルコールを飲んだ時、初めてタバコを吸った時、あるいはヘロインやコカインのような麻薬を使い始めた時、これらが体と心を破壊し、最終的に魂を永遠に地獄へ送ってしまうとサタンが警告すると思いますか。いいえ、サタンは真実を話しません。その真実は彼にとって聞くには耐え難いからです。 サタンは、これらを試すと刺激を受け楽しむことができると人々に言います。 サタンもエバにそう言いました。

 これこそまさに、サタンが今日世界中の何百万もの若者を騙している方法です。 たとえ彼らの不道徳や盗みに関しても、サタンはこう言います。「何か悪いことでも?十九世紀の時代遅れの考え方にならわなくても…。」サタンが私たちの心に植え付けようとするる、これらの考えに注意してください。 彼の最終的な目的はあなたを滅ぼすことです。

 6節を見ると、エバはその木が食べるのに適しているとわかるとすぐ、その木に引き寄せられたことがわかります。 二十世紀にもこの禁断の実に類似したものが数多くあります。 通常、神が禁じた多くのことに、私たちのからだは惹かれてきます。

 さらに、エバがその木を見て喜んだ様子が書かれてあります。神が私たちに見ることさえ禁じる多くのことが、私たちの目には快楽であることがわかります。

 また、その実がエバ自身にとって魅力的だったとも書かれてあります。 彼女はその実が自分を賢くしてくれるものだと思いました。 私たちの心もまた、神が禁じた多くのものに惹かれます。良心が間違っていると告げるものに、体と心が引き寄せられるときは注意してください。

 エバのやろうとしていることは間違っていると良心が彼女にに告げたと、私は確信しています。エバは神がその実を食べてはいけないと言われたことをよく知っていました。 しかし、彼女はどうしましたか。 彼女は体も心もその実を望んでいたので、それを食べても何も問題はないと自分に言い聞かせました。 そこで彼女は良心を押し殺し、その実を取って食べてしまいした。

 サタンは、何年も前に自分が神の御前から落ちて悪になった時、他も巻き込んで悪にしようと決意しました。 それは今の人類も同じです。 人は何か悪いことをした時、自分が犯した悪の中に自分だけがいることに納得しません。 人は他の人たちにも同じ悪事をさせたいと考えます。

 私はすべての若い人たちに箴言を読むことをお勧めします。 皆さんにぜひ読んでいただきたい本当に良い書です。

 箴言 1:10には、「罪人たちがあなたを惑わしても、彼らに従ってはならない。」とあります。

 サタンは邪悪になり、自分と一緒にエバも引きずり下ろそうとしました。 そして、エバがそのサタンの有毒な霊に加わった時、今度は彼女が夫を引きずり下ろそうとして、別の実を手に取り夫に与えました。 このようにして、悪は何世紀にもわたって世界中で増えていきました。 一人が悪となれば、他を引き込もうとします。

 だからこそ、私たちは常に警戒しなければなりません。サタンは時には吠える獅子のように私たちのところにやって来ます。もし、サタンがいつも吠える獅子としてやって来たら、私たちは彼を簡単に認識できるでしょう。 しかし、いつもそのように来るわけではありません。 サタンは時々、優しい「光の御使い」の様でやって来ます(2コリント11:14)。 その時こそ、私たちは本当に注意しなければなりません。

 イエスが弟子たちに、自分は苦しみ、十字架で死ななければならないと告げられた時、ペテロが「そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」と言ったことを考えてみましょう。 イエスはすぐに振り返って、ペテロに「下がれサタン。」と言われました。 イエスは、苦しみの道を避けるという選択は、たとえそれがペテロの口からであっても、サタンからであることを認識されたのです。

 イエスは、十字架に行かなければならないことをご存知でした。なぜなら、それが人間の罪が赦される唯一の方法だからです。 ペテロはそれを知りませんでした。 ペテロは良かれと思って言いましたが、その瞬間、サタンが自分を通してイエスが十字架に向かうのを阻止していることに気がつきませんでした。 そうです、サタンは、親しい友人を通して私たちのところに来て、同情的で人情的なことを言ってくることがあります。 ですから、私たちは常に警戒していなければなりません。

 私たちみなが必要なことの一つは、敏感な良心です。たとえ小さな間違いを犯したとしても、大声で私たちに語りかけてくれます。

 小さな赤ちゃんの足の裏を見てください。 なんて柔らかでしなやかなのでしょうか。 自分の足の裏と比べてみてください。 あなたの足の裏はかなり硬くなっていると思います。 あなたの良心も同じです。

 あなたが生まれた時、あなたはには敏感な良心があり、赤ちゃんの足の裏が柔らかいのと同じように、自分が犯すほんの小さな過ちにも敏感でした。 しかし、あなたは成長するにつれて、両親に嘘をつき、両親を騙し、物を盗み、さまざまな形で他人を傷つけ、試験でカンニングをし、両親に反抗し、その他多くの悪いことをしました。 このようにして、あなたは足の裏のように、罪に対して硬く鈍感になるまで、自分の良心を押し殺します。

 パウロはかつて「私たちはサタンの策略を知らないわけではありません」(2コリント2:11)と言いました。

 サタンは非常に巧妙にエバに近づき、非常に魅力的に見えるもので彼女を誘惑し、最終的には彼女を滅ぼしました。 今日、サタンは同じように私たちのところにやって来て、私が今述べた事柄だけでなく、より直接的な形式の悪魔崇拝によっても私たちを滅ぼします。

  サタンは、魔術、「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のようなゲーム、ウィジャボード、占星術、星占い、手相などを通じて人々を迷わせます。

 これらすべての手段を通じて、サタンは人々に入り込もうとします。 偶像崇拝は人々をサタンに接触させます。 だからこそ、神は偶像崇拝を憎み、私たちにそれを完全に避けるように命じておられるのです。

 映画も邪悪な思考であなたの心を汚すことも知っていますか。スクリーン上で性交や暴力を見ると、それに関連した夢を見ませんか。怖い夢も汚い夢も見るでしょう。 こうして悪魔は、恐怖と不純さであなたの心に侵入し、あなたのいのちに徐々に影響を与えようとします。

 もし、エバがあの木に惹かれた時に神に助けを求めていたら、話は大きく変わっていたでしょう。

 私は十九歳でクリスチャンになった時、もう映画を観には行きたくないと思いました。

 しかしある日、友達が来て、(私が働いていた)海軍基地の劇場に映画に行こうと誘いました。私は、クリスチャンになったので来ないと彼らに伝える勇気がありませんでした。 それで、私は彼らと一緒に歩いて映画館まで行きました。しかし、その道中、私は静かに主にこう祈っていました。「この状況から私を救ってください。私は行きたくありません。」

 映画館に着くと、そこに張り紙があり、上映予定の映画が手に入らなかったので、その日の映画は中止になったという内容でした。 私は、祈りに本当に応えてくださった主を讃えました。

 しかし、主は私にこう言われました。「今回はあなたを助けたけれども、次回は自分で『ノー』と言うんだよ。」

  友達がその後私のところに来た時には、祈りに対する神の奇跡的な答えにとても励まされ、友達にいとも簡単に「ノー」と言えるようになっていました。

 神がエデンの園に来て、アダムとエバに彼らの罪を咎められた時、神はまた、「彼は、お前の頭を砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」とサタンを呪われました(創世記3:15) それは実際、カルバリで起こりました。

 イエス・キリストは女性から生まれ、カルバリの上でサタンの頭を打ち砕き、サタンはイエスの足を貫いた釘で彼のかかとを打ちました。

 そして、創世記 3 章は、サタンが人間を永遠に支配しないという希望のメッセージで終わっています。 イエスは来てサタンを打ち負かし、今ではすべての人をサタンの力から解放してくださいます。

 サタンはもはや、あなたの人生に対していかなる力を持っていません。 イエス・キリストが十字架で死んだ時、イエスがサタンの力を完全に打ち破られたとあなたが信じるなら、硬くなってしまったあなたの良心は、小さな赤ん坊のように再び敏感になるでしょう。

 イエスはあなたの罪を赦すためだけでなく、あなたを多くの悪習慣の奴隷にしてきたサタンの力からもあなたを救い出すために死なれたのです。 サタンの頭は救い主によって完全に打ち砕かれたということを忘れないでください。

ハレルヤ!

 章 4
神がサタンを滅ぼされなかった理由

人間を動物のレベルにまで貶めるものは何でしょうか

 人間が自分の体と世のものだけに興味がある時です。 動物は何に興味がありますか。食事、睡眠、性的満足、それだけです。 そして、人がこれらのことだけに興味を持っているならば、動物のレベルに来てしまったと言えるでしょう。

 しかし、神は人を動物と同じように造られたわけではありません。 教育を受けたからといって、人が動物より優れた存在になる、ということではありません。なぜなら、高学歴の人でも、時には動物のように行動するからです。

 私たちの中には、心よりもさらに深い部分があります。 それを霊といいます。 私たちの霊は私たちに神を認識させます。

 神は自由意志と共に人間を創造されました。 神は人間に選択の自由を与えられたのです。

 サタンが天使として創造された時も、選択の自由が与えられました。 だからこそサタンは「神の御座の上に昇りたい」と言うことができたのです。

 神の創造物の中には、自由意志を持たないものが他にもたくさんあります。 たとえば、星や惑星です。 私たちの太陽系の惑星は、何千年もの間、一度も神の法則に逆らったことはありません。 なぜでしょうか。 なぜなら、彼らには選択の自由がないからです。しかし、惑星が神の子になることはありません。

  人が神の子となるためには、自分の望むものを完全に、自発的に選択できる自由意志を持って創造されなければなりません。

 しかし、選択の自由を持つことには、自分の楽しみや、神への背信に利用される可能性があるという危険があります。 しかし、神は従順な子たちを望んでおられたため、あえてそのリスクを取られたのです。そして、サタンもこの神の目的を果たすために使われます。

 世界の混乱、病気、悪はすべて、人間が神に背き、エデンの園で悪魔の言うことに従ってしまった直接の結果です。

 しかしここで、「もしサタンがすべての問題の根本原因なら、なぜ神はこのサタンを滅ぼされなかったのか」という疑問が出てきます。

 神の知恵は私たちの知恵よりもはるかに優れていることを信じる、それに尽きると私は思います。 私たちの知恵は小さなコップの水のようなものですが、神の知恵は海のようなものです。 もし、神がサタンにこの世に存在して活動することをお許しになられたのであれば、それには十分な理由があるに違いないと確信できます。

 実際、神はサタンの働きを通じて多くのことを達成します。 だからこそ神は、彼が存在することを許されたのです。

 神が、サタンによってこれほど多くの悪、損害と苦しみが起きるのをお許しになる理由の一つは、それによって人々が神に立ち返るためです。

  もしこの地球上の生活が病気、苦しみ、貧困のない、ただ快適なものであったなら、人は神のことなど考えもしなかったことにお気づきでしょうか。

 神が許すものにはすべて目的があります。 旧約聖書には、イスラエルの民が荒野で神のことを忘れた時、突然毒蛇に噛まれたと書かれています。 彼らはすぐに神に立ち返ったので、神は彼らを癒されました。 あの毒蛇が人々を神に立ち返らせるために存在したことは、良いことではなかったでしょうか。

 私はある実業家の話を聞いたことがあります。この兄弟は神と共に歩んでいましたが、一旦、彼のビジネスが軌道に乗ってうまく行き始めると、彼は神から離れて行きました。

 彼の教会の長老たちも彼を訪れては何度も、神に立ち返るように説得しました。しかし、彼の頭はビジネスのことで常にいっぱいでした。

 ある日、彼の末っ子が毒蛇に咬まれ、危篤状態に陥りました。医者もこの子を救う術をなくして、途方に暮れていました。父親はいよいよ心配になり、長老にこの子のために祈ってくれるよう頼みました。呼ばれた長老は賢い人で、こう祈りました。

「主よ、この子に噛み付いた蛇を送ってくださり感謝します。なぜなら、もうこの家族を御前に連れ戻すことは無理だと私は思っていたからです。私は彼を引き戻すのに六年費やしてきましたが、この蛇は一瞬にしてやり遂げました。

 この家族はすでに教訓を得ました、主よ、どうかこの子を癒してください。そして、あなたの元に帰るための蛇をもう必要としなくてもいいよう取り計らってください。」

 ある日、自分が突然がんになって病院に運ばれはじめて、神のことを考える人もいるでしょう。 急に神のことを考え始めて、キリストに立ち返り、新しく生まれ変わります。

 人々が罪から遠ざかり、天国に永遠の居場所を得るために、 この世の不治の病、病気、貧困、その他多くの悪はすべて、神によって用いられてきました。

 このようにして、神はサタンの行いそのものを利用して、人々を神の手から救い出し、永遠に彼らを救ってくださるのです。 こうして神は何度も何度もサタンを翻弄されます。

  神はまた、私たち信仰者を清い者にするためにサタンを用いられます。

 火災の例を考えてみましょう。 世界の歴史の中で、何百万人もの人々が火災で亡くなっています。しかし、だからといって火の使用をやめる人はいません。 なぜなら、食物を調理し、自動車、飛行機、機械を動かすのに、火は不可欠だからです。 また金は火によってのみ、精錬することができます。 したがって、火は非常に有効活用できるものです。

 あるいは電気を考えてみましょう。 何百万人もの人々が感電により亡くなっています。 確かに電気はとても危険です。しかし、電気もまた、非常に有益な目的に使用できることは誰もが知っています。

 アダムとエバは創造された時、純真そのものでした。 しかし、彼らが清い者になるためには、自分で選択しなければなりません。悪を拒否し、神を選ぶという選択ができるよう、誘惑される必要がありました。 だからこそ、神はサタンがエデンの園に来て、彼らを誘惑することを許されたのです。

 サタンがその園に入るのを神が食い止めるのは難しかったでしょうか。 絶対にそんなことはありません。

 しかし、誘惑がなければアダムは聖い者にはなれず、永遠に無邪気なままだったでしょう。

  無邪気さと聖さの間には大きな違いがあります。 無邪気さは赤ちゃんに見られるものです。 アダムが創造された時の様子は、無邪気で善悪を知らない赤ん坊を見ればわかります。 小さな赤ちゃんは無邪気かもしれませんが、神聖でもなく、完全でもありません。 完全になるためには、その赤ちゃんは成長して、悪を拒否し、神を選ぶという選択をしなければなりません。

 私たちの人格が形成されるのは、心の中の誘惑を拒む時です。 今のあなたがあるのは、これまでの人生で行ってきた数々の選択のおかげです。

 もし、あなたの周りの人があなたより優れているとしたら、それは彼らが人生においてあなたよりも良い選択をしたからです。 私たちは皆、毎日いろんなことを選択しています。そして、その選択が私たちが最終的にどうなるかを決定します。

 エバは園である選択をし、こう言いました。

「私は神の命令によって課される制限に縛られるよりも、むしろ自分の体の欲望を満たし、サタンの提案を受け入れたい。 私は自由になりたい。」

 しかし、彼女は自由になったでしょうか。 いいえ、逆に彼女はサタンの奴隷になってしまいました。神の戒めに従うことだけが、本当の意味で私たちを自由にします。

 アダムとエバはその日、エデンで非常に重要な決断を下しましたが、その決断が自分たちと子供の一生に大きな影響を与えました。 すべての決断は結果を生み出します。時には、残念ながらそれが子供たちにも及ぶこともあります。 アダムの場合、彼と妻はその後、生涯にわたり神の御前から追放されました。

 ですから、自分が行う小さな選択が大したことではないとか、今日蒔いている種を将来決して刈り取ることなどない思わないでください。 神はあなたが試みられ、誘惑されることを、そのためにサタンが自由になって活動することを許されます。

 旧約聖書のヨブ記の例を示しましょう。 ヨブ記 1 章には、天で交わされた神とサタンの会話について書かれています。 そしてヨブの経験から、私たちはサタンの働きについて何かを学ぶことができます。

 ヨブ記 1: 6には、ある日、神の子たち(天使)たちが主の前に現れたとあります。 サタンも彼らの中に入ってきました。そして 神はサタンにどこから来たのか尋ねられます。

 サタンの答えに注目してください。 彼は地上の様々な場所を訪れていたと言いました。 サタンが今、世界中で活動していることをお分かりになるでしょうか。

 多くの人はサタンが地獄にいると思っています。 もしそれが本当なら、私たちはサタンによって悩まされていないでしょう。しかしサタンは地獄にはいないのです。

 聖書は三つの天があると言っています。 第一の天は、私たちが「宇宙」と呼んでいるものです。 第三の天は神がおられる場所です(2コリント12:2)。 サタンが神の臨在から投げ落とされた時、彼は地獄ではなく第二の天に投げ落とされました(エペソ6:12)。 そして第二の天から、いつでも自由に地上に来ることができます。 だからこそ彼は、エデンの園に入ることができたのです。 そしてサタンとその悪霊たちは今日でも地上に来ることができるのです。

 サタンは吠えるライオンのように、食い荒らされる者を求めて歩き回っています。 サタンは常に若者たちを誘惑して、彼らに間違った選択をさせようとしています。若い人たちの生活に入り込み、彼らの純粋さ、正直さ、誠実さを奪い、その結果彼らの人格を破壊し、最終的に彼らを永遠の滅びに連れて行こうとします。

それがサタンが地上をうろついている理由です。

 そして、サタンはすべての人を観察しています。 サタンは子供の頃からあなたを観察しており、あなたを滅ばそうと、常にあなたが悪を行い、間違った選択をするように誘惑しようとしてきました。 試験でカンニングをする、他人を恨む、親や先生に嘘をつく、他人の物を盗む、汚い本を読むようにずっとあなたにささやいて来たのはサタンです。

 そこで神は、サタンにこう言われました。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」もちろん、サタンはヨブのことをすべて知っていました。 実際、ヨブはサタンの「標的リスト」のナンバーワンでした。 そこでサタンはこう答えます、「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼と、その家とすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」(ヨブ1:8-10)。

 ここに、私たちが学ぶべき素晴らしい教訓があります。神はご自分の子供たちのからだ、家族、所有物の周りに三つの垣を設けておられます。

 私たちが神の子として、この三つの垣で神によって守られていることは、祝福された特権です。 箴言 18:10は、主の御名は堅固なやぐら、正しい者はその中に走って行って安全であると述べています。 イエスの御名ほど安全なものはありません。 サタンは、カルバリで彼を打ち負かしたイエス・キリストの名以外のものを恐れません。 私たちの人生がキリストに明け渡された時、私たちはイエス・キリストの御名を使って、サタンに抵抗することができます。 聖書にはこう書かれています。

「悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」

 さらにヨブ記には、サタンがヨブの家族、財産など全てを奪い、ヨブを苦しめることを神が許されたことが書かれてあります。 言い換えれば、神が、ヨブを試みることができるようにサタンに垣を開けられたということです。 なぜ神はそんなことをなされたのでしょうか。それはヨブが「金のように」清められるためです(ヨブ23:10)。 試練の終わりには、ヨブの独善性は除かれ、よりへりくだり、敬虔な人になったことがわかります。

 だからこそ、神は私たちに試練をお与えになるのです。 それは、私たちがそれらの試練を乗り越え、より清く、謙虚で、敬虔で、愛情深く、親切で、慈悲深く、独善的でなく、よりイエスご自身に似た者となるためです。 したがって、サタンは「神の子らを聖化する」という非常に有益な目的を果たしているのです。

 これらのことは、私たちに 二つのことを教えてくれます。

 まず第一に、サタンは神の許可なしには神の子、その体、その家族、所有物に決して触れることができないということです。

 そして第二に、サタンが何らかの形で私たちに触れたり、傷つけたりすることを許される場合、そこには、私たちがよりキリストに似た者にされ、地上の一時的な物から解放されて、心を天に置くようになるためという目的があるということです。

 サタンが私たちに企てていることさえも、天の御父が完全にコントロールしておられることは、私たちにとって大きな慰めです。

 私は若い皆さんに言いたいのですが、もしあなたが自分のいのちを完全に神に委ねるなら、自分のからだ、家族、財産の周りには常にこの三つの垣が設けられます。 サタンは神の許可がなければ、それらの垣を通り抜けることはできません。 そして、神がサタンの侵入を許す時はいつでも、それは自分のためだという確信を得るでしょう。

 聖書がサタンとその働きについて明確に教えてくれるのは、私たちを怖がらせるためではなく、サタンの存在を許す神の目的を、私たちがはっきり理解できるようにするためなのです。

 章 5
サタンの手法

若いあなたが生活の中でサタンに抵抗する術を知らなければ、世の人生を台無しにするだけでなく、あなたの永遠の行き先にも影響を与える可能性があります。

  サタンは、あなたが成長するのを待たずにあなたを攻撃し始めます。 サタンは今すぐにでもあなたを攻撃します。ですから、サタンの攻撃方法をよく知っていなければなりません。

 残念なことに、ほとんどの人々の悪魔に対するイメージは、神のみことばよりも、オニダテレビの宣伝から来ています。人々は、その宣伝のように、サタンには角と爪と二股に分かれた緑色の尾を持つ無害ないたずら者ぐらいにしか思っていません。

  しかし聖書には、サタンはそのような醜い姿を全くしていないと書かれています。 サタンは霊であり、人々が逃げていくようなやり方でやって来るような愚か者ではありません。 ではどうやって人々を惑わせるのでしょうか。

 サタンはむしろ、最初にあなたの自信を勝ち取り、あなたを騙す自信詐欺師のようなものです。 聖書によれば、サタンは光の御使いとして、つまり魅力的な存在としてやって来ます。 そして、サタンが「光の御使い」として来るので、「全世界を惑わす者」と呼ばれています(黙示録12:9)。

 一例をあげましょう - 空手です。 ほとんどの人は、それを単なる武道の一種、護身術の一つだと考えています。 しかし、それはあくまで真実の一部にすぎません。 ヨガが単なる身体運動に見えながら、太陽崇拝を教えているのと同じように、空手も、その背後に悪の力があります。私は、それらに憑かれた人々を目にしたことがありますが、彼らは自己防衛のような良いことを伝える無害なメッセンジャーとして自分自身を表します。

 サタンは非常に魅力的な方法でエデンの園にいるエバの元へやって来ました。 もしサタンが悍ましい者だったら、彼女はサタンから逃げていたでしょう。

 旧約聖書と新約聖書の両方とも、サタンが人々を誘惑する描写から始まっているというこに注目してください。旧約聖書はアダムとエバの誘惑 (創世記 3 章)、新約聖書はイエスの誘惑 (マタイ 4 章) です。このように、聖書は敵の手口を知ることの重要性を示しています。

 もし、私たちがアダムとエバのようにサタンに立ち向かったら、私たちは間違いなく堕落するでしょう。 しかし、私たちがイエスを模範として彼に倣えば、私たちは確実に克服できます。

 イエスが水のバプテスマを受け、聖霊によって油そそがれた直後、公での奉仕を始められる前に、イエスが悪魔の誘惑を受けるために聖霊によって荒野に導かれたと書かれてあります(ルカ 4: 1)。

 聖霊がイエスを悪魔と出会うように導いたのは、実に驚くべきことです。 聖霊は神と御国の幻と啓示を与えるためだけに、人々を山の頂上に導くと考える人もいるでしょう。 そうです、神は確かに私たちをそのような場所に導かれます。しかし、神は私たちをサタンの誘惑にさらされるような場所にも導かれます。

 聖霊は私たちを有害な場所には決して導かれないことに気づかれたかと思います。そして、聖書のこの一節から、誘惑は私たちにとって有益であることがわかります。

  そうでなければ、聖霊はイエスをサタンの誘惑に導かなかったでしょう。 そして、神は私たちをサタンの誘惑に導かれることもないでしょう。

 神は誰も誘惑しません。 しかし、神は私たちがサタンの誘惑に遭うことを許しておられます。

サタンの誘惑のタイミングに注意する

 サタンは、イエスが四十昼夜断食された後すぐ、空腹でおられたイエスのところにやって来ました。 サタンが私たちを攻撃しようとするのは、私たちが肉体的に弱っている時、または生活の中で精神的または感情的なプレッシャーに直面している時です。

 第二に、イエスが聖霊で油そそがれ、天からの声を聞いた後も、サタンがイエスのところに来たと書かれてあります。 私たちが神から素晴らしい祝福を受けた後、サタンは私たちのところにやって来ます。

 ですから、サタンの策略に警戒しておくべきです。 神が私たちを大いに祝福してくださった後、サタンがやって来て私たちを高ぶらせます。 あるいは,私たちが試験に落ちたり,病気になったり、肉体的に疲れきったりしている時に、サタンはやって来て、私たちを失望させ、罪に導こうとします。

 神のみことばは、私たちが「サタンの策略と計略」を知ることができるように、あらかじめ与えられています。 神のみことばは、サタンがどのような時に来るのか、どのような誘惑をするのか、他の人がサタンにどのように騙されたのか、そしてイエスがどのように打ち勝ったのかを示しています。

  サタンのアプローチ

 まず第一に、サタンが肉の欲によってイエスを誘惑したことがわかります。 サタンはイエスに「あなたが神の子なら、この石にパンになるれと、言いつけなさい。」と提案しました。

 サタンも同じように私たちのところにやって来ます。 神は私たちに「正当な肉の欲を不法な方法で満たす」よう誘惑します。 しかしイエスは注意深く「書いてある…」と答えられました。

 何千年も前にサタンがエバに来た時、サタンは「神は本当に言われたのですか。」と神のみことばについて問いかけてきました。

 サタンが心から憎む本は、世界で一つしかありません。それが神のみことば、聖書です。  では、なぜサタンは聖書を嫌うのでしょうか。 聖書は、サタンがどのようにして「サタン」になったのか、そして彼の陰謀をすべて明らかにするからであり、そして何よりも、カルバリの十字架でのサタンの敗北と、キリストが地上に再臨される時の彼にくだされる最後の審判についても私たちに伝えるからです。

 そのため、サタンは聖書を憎み、人々が聖書を読まないよう常に全力を尽くします。 彼は、人々に聖書よりも小説や漫画を読ませたいと思っています。 なぜなら、それらの小説や漫画はサタンを克服するのに役立ちませんが、聖書はサタンを克服するのに有益であることを知っているからです。

 イエスが地上に来られた時、私たちと同じ人間として来られ、あらゆる点で私たちとまったく同じように誘惑されました(ヘブル 2:17; 4:15)。 なぜでしょうか。 イエスが私たちの模範になってくださるためです。 イエスが私たちに「わたしに従いなさい、わたしを手本にしなさい。」と言ってくださるためです。

 私たちが従うことができる例とは何でしょうか。

  それは、私たちが誘惑された際に、サタンに対して神のみことばだけを引用することです。 イエスは、エバのようにサタンと話し合うことはありませんでした。 イエスは自分の体に食べ物が必要かどうか、または、食べ物が良いか悪いかなどについては考えておられませんでした。イエスはただ、神がみことばが言われていることだけに関心を持っておられました。

 みなさん、もしあなたが「神はみことばで何とおっしゃっているか、それだけが私にとってすべて」という原則に従って人生を生きるなら、私はあなたに是非言いたい、あなたは必ずイエスのようにサタンに打ち勝つことができます。

  実際イエスは、サタンが持ってきた三つの誘惑、すべてに対して神のみことばを引用して答えられました。

 この点にエバとイエスの対比が見受けられます。

 イエスの思いは「私の霊にとって、神のみことばは、私の体のための食べ物よりもはるかに重要です。」でした。 言い換えれば、「食べることは、神のみことばを読み、理解し、従うことほど重要ではない」ということです。 これが、イエスが旧約聖書の聖句を引用してサタンに語った「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである」というみことばの意味でです。

 若い方たち、以上のことを理解できましたか。 私たちがサタンに打ち勝つための第一の原則は、私たちにとって、食べ物や性交などの肉の欲をすべて満たすことよりも、神のみことばを認識することです。 最初にその立場をとらなければ、あなたは必ず騙されるでしょう。

 サタンはきっと、毎日神のみことばを読むよりも食べることの方が大切だと言うでしょう。 そしてサタンを信じる信仰者もたくさんいます。 その証拠は、彼らが食事の時間を決して忘れたり欠いたりすることはないけれども(一日に三回、またはそれ以上)、忙しさを理由に神のみことばを読み黙想する時間を持たない、忘れるという事実に見られます。

 信仰者を騙して弱らせるのは誰でしょうか。 間違いなく、サタン自身です。 四十日間断食をした後でも、体の必要を満たすことよりも神のみことばに耳を傾けることの方が大切だと感じておられたイエスは、私たちのとって素晴らしい模範です。

 人生において、神のみことばを最重要視する人こそが、絶えず勝利に満ちた人生を送ることになるのです。 使徒ヨハネは若者たちに(1ヨハネ 2:14)「神のみことばが、あなたがたのうちにとどまり、そして、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからです。」と語りました。 それ以外の方法でサタンに勝つことは不可能です。 私は皆さん全員に、毎日聖書を読んで黙想していただきたいです。

  第二の誘惑

 ここでサタンは、イエスを誘惑して、神殿の頂上から飛び降りたら神が守ってくださると主張しました。 それは、何か奇跡的なことを行って、無傷で降臨し群衆を驚嘆させよという誘惑でした。 サタンがイエスに提案したことは、実際にはイエスを自死させるための策略でした。

 サタンは、あなたが人の賞賛を得るために、偉大な人物であることを誇示するために、何か大きなことをするように、あなたを誘惑することがよくあります。サタンが、聖書のみことばを引用して「御使いに命じて守ってくださる」とイエスに言ったことにも注目してください。

 サタンは聖書のみことばを誤用してまでも、あなたを惑わそうとしていることを覚えておいてください。ですから、もしあなたが聖書が実際に教えていることを知らなければ、あなたは騙されてしまいます。

 「キリストの名において何か素晴らしいことをしなさい」とサタンは投げかけます。 キリスト教は、多くの信仰者が聖書を引用して神を誘惑するという愚かなことをしてきたために、しばしば悪名を着せられてきました。

 例えば、病気のときに薬を一切飲まない信仰者のことです。 彼らには、彼らのいわゆる「信仰」の根拠となる聖書がありません。 しかし、彼らは神を「信じている」と思い込んでいます。 それはまさに、御使いが超自然的に守ってくれると期待して、神殿から飛び降りるようなものです。 彼らは最終的には病気で亡くなります。

 このようにして、信仰者ではない人々がキリスト教が愚かで狂信的な宗教だと思うことになり、キリストの名は辱められます。

 そして、サタンはふんぞりかえって笑ってます。サタンは、毒を摂取することではなく、神が造られた薬が体内の毒を打ち負かすのを拒むことによって、さらに一人の信仰者を自殺に追い込むことに成功したからです。

  世において御国の働きのために、神の役に立つはずだった多くの神の子が、このようにしてサタンによって死に誘惑されています。

 悪魔は常に、何か愚かなことや神の霊とみことばに反すること、そしてなにか壮大なことをして人々を誘惑しようとします。 しかし、私たちはへりくだって神に従い、どのような場合でも自分自身の栄光を決して求めなければ、私たちはサタンに打ち勝つことができます。

 サタンがイエスに聖書の言葉を引用すると、イエスは別の聖書の言葉を引用してサタンに答えました。 「『あなたの神、主を試みてはならない』とも書いてある」と彼は言いました。 私たちは愚かで無駄なことをして神を試み、その愚かな結果から神が私たちを守ってくださると期待するべきではありません。

  第三の誘惑

 サタンは彼が常に望んでいたもの、つまり礼拝もここで挙げています。 サタンはイエスに、「もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」と言いました。

 お金、人気、名誉、地位、権力など、この世の栄光は私たち皆にとって、とてつもない誘惑です。そしてサタンは言います。

「この中でどれが欲しいですか。教えてくれたらあげます。 ただ少しだけ私に頭を下げひれ伏してくれれば。そうすればすべてをあなたに差し上げましょう。」

 サタンはこうも言うでしょう、「テストに合格したいですか。」「 クラスで一番になりたいですか。 叶えましょう。ただ 私に頭を下げてくれたら…賄賂を渡して、事前に質問用紙を入手してはどうでしょう。 試験官に賄賂を渡したら、さらに点数がもらえますよ。 テストでカンニングするのも…」など。

 今日、多くの人がこのようにしてサタンの前でひれ伏しています。

 若い皆さんがサタンの策略について知ることは重要でしょうか。 もちろんです。 テストでカンニングをする時、「サタン、私はあなたの命令に従います。メモを書いた小さな紙をポケットに入れて試験会場に持っていきます。」と言って、心の中でサタンにひれ伏していることを知らなければなりません。

 最近の若者たちは、さらに巧妙な不正行為の方法をたくさん編み出しています。なぜなら、サタンは非常に賢く、不正行為をしたい人たちを助けるためにあらゆる手法を提案するからです。

 サタンがこの世の栄光をイエスに差し出したなら、あなたにも同じことをすると思いませんか。 そして、あなたが年をとればとるほど、サタンはこの世の輝かしい魅力的なものをたくさんあなたに見せてくるでしょう。

  虚偽の陳述書に署名したり、金銭面で不正を行ったり、邪悪な活動に従事したりする人々がいます。これらのことはすべては、もう少しお金を増やしたり、もう少し人気を集めたり、この世でもう少し高い地位を得たりするためです。

 サタンは常に人々にこう言います。 「何が欲しいのですか。すぐにあげるのに。」 そのようなサタンの誘惑に対してイエスが答えたのはただ一言でした。「下がれサタン。 『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてある。」

 サタンのこれらすべての策略について警告してくれる神のみことばが私たちにあるというのは、何と素晴らしいことでしょうか。 若い皆さん、あなたたちのような若い年齢でこのことを知ることができるのは、何と幸いなことでしょう。

 この世のものを手に入れたいという誘惑に駆られ、それを手に入れるためには自分の人格を犠牲にしなければならないと気づいた時、あなたはどうしますか。

  イエスがサタンに言われた言葉を思い出し、イエスの例に倣って同じことをサタンに言いましょう。

 サタンがあなたを誘惑して、「あなたは義である必要はない、真実を語る必要もない。 少し嘘をつくだけで、何か得ることができる。」と言うなら、思い切ってサタンにこう言い放ってください。

「下がれサタン。あなたの言うことは聞かない。神だけをひれ伏して礼拝しなければならないと書かれている。 私はイエスに従う。」

 サタンは創造された時から、常に自分が崇拝されることを望んでいました。 神のようになりたいと思ったいたからです。彼は神だけが崇拝され得る存在であることを知っていました。 サタンは、他の御使いたちに自分を崇拝してもらいたかったのです。

 彼はアダムの家系が、彼を崇拝することを望んでいました。 そして驚くべきことに、彼は、イエスにさえも自分を崇拝させようと目論んでいたのです。しかしそれは失敗に終わりました。 ですが、サタンは今日の世界の多くの人々、実際、ほとんどの人々に対して成功しており、また、この世の利益を得るために自分の信念を曲げるような信仰者に対しても成功していているのです。

 今日、非常に多くの人がサタンにひれ伏しています。 彼らは、罪に屈したり、良心に反している時、実際にはサタンの言いなりになっていることに気づいていません。 なぜ、彼らはそのようなことをするのでしょうか。 この世の栄光の何かを手に入れるためです。

 あなたが成功、知名度、権力、つまりテストでの良い成績、学校での人気、あるいは社会的地位を望む時、サタンがあなたのところに来てこう言います。「さあ、あっちに行って、こっちに行って、あれをやって、これをやって…欲しいものをあげよう。」

 そして、サタンが示唆していることは全部間違っていることをあなたはよく分かっています。 しかし、あなたは彼の言う通りに行い、サタンにひざまずくのです。 そのようなことをして自分を信仰者と呼べると思いますか。いいえ。 サタンにひざまずくのは信仰者とは言えません。

 私たちが過去に、そのようにサタンに膝をかがめてきたのであれば、ではどうすればよいでしょうか。私たちは自分が犯したすべての出来事を悔い改め、騙して手に入れたものは返し、イエスに許して清めていただくよう求めなければなりません。 サタンが今後も私たちの生活を支配しないためにも、今すぐこれらのことを整理しておきましょう。

 章 6
サタンの敗北

この最後の章では、サタンの敗北について皆さんにお話ししたいと思います。

この地球上でこれまでに起こった最大の戦いは、どの歴史書にも書かれていません。その戦いは、イエスが死を通して、この世の君であるサタンを打ち負かしたカルバリの上での戦いです。

 一生忘れてはならない聖句の一つは、ヘブル2:14、15 です。サタンはきっとこの聖句をあなたに知られたくないでしょう。 自分の敗北や失敗について聞きたがる人はいません。サタンも同じです。 以下がその聖句です。

「そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主(イエス)もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって(カルバリの上のイエスの死)、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」

 イエスが死なれた時、悪魔は無力になりました。 なぜでしょうか。

 それは、私たちがサタンと、また、サタンが私たちに課す生涯にわたる恐怖の束縛から永遠に解放されるためです。 世界には、病気、貧困、失敗、人、将来など、人々が抱くさまざまな種類の恐怖があります。しかし、すべての恐怖の中で最大のものは死の恐怖です。 他のあらゆる恐怖は死の恐怖ほどではないでしょう。

 死の恐怖は、死んだ後に何が起こるかということです。 聖書は、罪の中に生きる人は最終的には地獄に行くこと、つまり悔い改めない人のために神が用意された場所へ行くことを明確に教えています。 悪魔もまた、自らが地上で騙して罪に導いた人々と共に、火の湖で永遠を過ごすことになるでしょう。

 イエスは私たちの罪の罰を負い、私たちを永遠の地獄から救うために地上に来てくださいました。 また、私たちに対するサタンの力を打ち砕き、二度と私たちに害を及ぼすことができないようにしてくださったのです。

 私は皆さんに、この一つの真実を生涯忘れないでいてほしいと思います。

  神は、サタンに対して常にあなたの味方です。

 これは、私に多くの励ましと慰めと勝利をもたらした素晴らしい真実です。私は、あらゆるところに出て行って、世界中のすべての信仰者にこのことを伝えられたらいいのにと願って止みません。

 聖書には「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」(ヤコブ4:7)

イエスの御名は、サタンが常に逃げていく力ある御名です。

 ほとんどのクリスチャンの頭の中には、サタンに追いかけられ、自分の命を守ろうと一生懸命逃げるというイメージがあります。 しかし、それは聖書が言っていることとはまったく逆です。

 どう思いますか。サタンはイエスを恐れていたのでしょうか、それとも恐れていなかったのでしょうか。

  私たちは皆、サタンが救い主の前に立つことを恐れていたことを知っています。 イエスは世の光であり、闇の王子はイエスの前から消えなければなりませんでした。

 イエスは弟子たちに、サタンがどのように天から堕落したのかを語られました。 そしてイエスは、それは「稲妻のようだった」(ルカ10:18)と言われました。 イエスが荒野でサタンに「下がれサタン」と言われた時、彼も電光石火の速さでイエスの前から消えました。

  そして今日、私たちがイエスの名においてサタンに抵抗する時、彼も光の速さで私たちの前から逃げるでしょう。 闇は光の前に逃げていくのです。

 サタンはイエスの御名を恐れています。 彼はイエスが主であるという事実を思い出させられるのを恐れています。 悪霊に支配されている人は、イエスが「キリストは主である」ことも、サタンが十字架で打ち負かされたことも告白しません。

 イエス・キリストの御名には、どんな悪霊、サタンも電光石火の速さであなたから逃げ出させる力があります。 決してそれを忘れないでください。

 若い人たち、人生で困難に陥ったり、乗り越えられないような問題、または人間には答えが見つからないと思われることに直面したりする時はいつでも、主イエスの御名を呼んでください。

  「主イエスよ、サタンに対して、あなたは私の味方でおられます。 今すぐ助けてください。」と言ってください。 そしてサタンに向かって、「イエスの御名において抵抗する、サタン」と言いましょう。 イエスが十字架でサタンを打ち破ってくださったので、サタンはすぐにあなたから逃げていきます。あなたが神の光の中を歩み、イエスの名において神に抵抗するなら、サタンはあなたに対して無力です。

 サタンは自分が負けたことをあなたに知られたくないので、長い間、あなたに知らせまいと妨害してきました。サタンが、ほとんどの説教者に自分の敗北について説教させないように努めてきた理由です。

 皆さんにはっきりと知っておいてほしいのは、サタンは、十字架上で主イエス・キリストによって、すでに完全に打ち負かされたということです。 もう二度とサタンを恐れる必要はありません。 サタンはあなたを悩ませることも、傷つけることもできません。サタンはあなたを誘惑するかもしれません。 また攻撃するかもしれません。

 しかし、あなたがへりくだり、神にひれ伏し、常に神の光の中を歩むなら、キリストにある神の恵みはあなたをいつも勝利へと導きます。

 光には計り知れない力があります。 闇の王であるサタンは、決して光の領域に入ることができません。 もし、サタンが多くの信仰者に対して力を持っているならば、それは彼らが暗闇の中を歩き、何か隠れた罪の中に生き、人を許さず、また誰かに嫉妬し、人生において利己的な思いを追求するからです。そのような場合、サタンは彼らを手中に収めます。そうでなければ、サタンは決して彼らに触れることはできません。

 この世の人々のように迷信を抱いてはいけません。 人々は、特定の日に特定のことをすることを恐れます。たとえば、十三日の金曜日などです。 黒猫が目の前を横切るのを見て怖がる人もいます。 月の位置を調べて悪い時を判断し、大切な用事はその日を避けます。

 そのような迷信的な恐怖はどこから来るのでしょうか。サタンです。

イエスは、そのようなあらゆる恐怖から、私たちを救い出すために来てくださいました。 私たちはもう、この世界の何も恐れる必要はありません。 すべての迷信は悪魔から来ています。

 黙示録には、いつかイエスが戻って来られ、サタンを底なしの穴に縛り付け、その後イエスはこの地上で千年間統治されると告げられています。 その期間の後、サタンは長い投獄の後も、まだ変わっていないことが皆に示されるために、しばらくの間解放されます。 それから彼は出て行って、最後にもう一度地上の人々を欺きます。

  そして、千年にわたるイエスによる平安な統治を観察した後でも、アダムの民も同様に変わっていないことが明らかになります。

 その後、神はサタンに裁きを下し、彼を永遠に火の湖に投げ込むでしょう。 そして、罪の中に生き、サタンにひざまずき、神のみことばに従わず、サタンに従ったすべての人々も、その火の湖でサタンに加わることになるのです。

 それが、私たちがこの「サタンの敗北」の福音を宣べ伝える理由です。 これは今日、信仰者が聞かなければならない重要な真実です。 しかし、清さの中を歩まない限り、サタンに打ち勝つ力はないということは覚えておいてください。

 そこで、私は若い皆さんに強くお願いしたいのですが、悪魔に心を汚されることを決して許さないでください。 あなたの心が汚れていると、サタンに対してイエスの御名を効果的に使うことができなくなります。

  イエスの御名は、悪を追い払うための魔法の呪文のようなものではありません。 いいえ、まず神に自分を捧げなければなりません。 そうすれば、あなたが悪魔に抵抗する時、悪魔はあなたから逃げ出します。 しかし、あなたが人生のあらゆる領域を神に委ねなければ、悪魔はあなたを恐れないでしょう。

 今、自分の人生を完全にキリストに捧げ、これからはキリストのために生きると決心してください。

 今から二十年後、あなたはこれまでに聞いた神のみことばの教えに、自分が従ったことに感謝するでしょう。 そしていつか、あなたがキリストの裁きの座に立ち、自分の人生を主に申し開きををする番が来た時、あなたはさらに感謝で溢れることでしょう。

 あなたが人生の旅路の終わりに後悔しない生き方ができるように、主が助けてくださいますように。 アーメン。

 「聞く耳のある者は聞きなさい。」