マラキ2章15節には、神は男と妻を一体に作り、彼らの神の子孫を求めておられると書かれています。
誰でも子どもを育てることができます。 しかし、イエスの弟子は神聖で敬虔な子どもを育てなければなりません。 そして、このための第一の必要条件は、両親の少なくとも一人が、心を尽くして主を愛するイエスの全き弟子でなければならないということです。 半可なクリスチャンは敬虔な子供たちを育てることができません。
もう一つの重要な条件は、夫と妻の結束です。 一人のパートナーが弟子でない場合、これは不可能かもしれません。 その場合、もう一方のパートナーは、自分の子供たちのために、ただ一人でサタンと戦わなければなりません 。 しかし、夫と妻の両方がイエスの全き弟子であるならば、容易にサタンに立ち向かうことができるのです。
これが、結婚相手の正しい選択が非常に重要である理由です。
夫と妻がいつも喧嘩をしてお互いを責め合うならば、神聖な方法で子供を育てることはとても困難です。
あなたが神聖な家庭を築きたいならば、たとえあなたの多くの権利や主張を放棄してでも、あなたの夫/妻と一つになることを求めなければなりません。子供たちが主に従うという成長過程を長期的に見れば、それは非常に価値のあることです。 二人の弟子の間には、一貫して大きな力があるのです。
イエスは、マタイ18:18-20の中で、二人の弟子が地上で結ばれたとき、天の諸々の悪霊の力を縛り上げる権威を持っていると言いました。(エペソ6:12)
このように、私たちはサタンを家庭から遠ざけ、子供たちに影響を与えないようにすることができます。
エペソ人への手紙5:22から6:9では、妻と夫、子供と両親、召使と主人との間の家庭関係について聖霊が語っておられます。その後(10節以降)聖霊は、天の悪霊との格闘について話しておられます。
これらの聖書のことばは、何を私たちに教えてくれているのでしょうか?
サタンの攻撃は、家庭にまず向けられているということです。家庭こそがサタンを克服しなければならない場所なのです。
お互いに喧嘩している夫と妻は、サタンが家に入り、子供たちを攻撃するために、わざわざドアを開けているようなものだということを認識していません。
両親に無礼で反抗的な子供、夫に対し乱暴な話し方をする母親、また自分の問題に関して、主に反抗的な態度をとる父親から、サタンによる感染を受けた可能性があります。
親が最初にその家に持ち込んだ感染のために、哀れな子供を責め立てることは全く無意味なことです。
最初に悔い改める必要があるのは親です。家族の和合は、家の大きさや美しさ、また自宅にある電子機器よりはるかに大切です。
まず両親が真の主の弟子であれば、たとえ古びた小さな家に住んでいる家族であっても、そこに神の栄光は大いに現れるのです。
イエスの真の弟子は、アダムとイブがエデンでかかった"他者を責める"という病におかされることはありません。
アダムは自分の罪のためにイブを非難し、イブは彼女自身のために蛇を責めました。
天の御国は「心(霊)の貧しい者」(マタイ5:3)のものです。心(霊)の貧しい人の最初の特徴は、自分自身の失敗を認識し、それを大切にするということです。
どちらも霊的に貧しい夫と妻は、この地上で 天国の前触れを体験できるような家庭を築くことができます。このような家庭は、それぞれが自分自身を裁き、相手を責めることはありません。悪魔は決してそのような家にはアクセスできないのです。
あなたは、このような家庭の子どもたちがどれほどの祝福を受け継ぐのか想像できますか?
"働く母親"について考えてみましょう。
私たちの日常生活において、残念ながら一部の都市では生活費が高いため、母親が働くことは不可避です。しかし、彼女たちは特定の原則を念頭に置かなければなりません。
テトス2:5によると、神様の女性への御心は、まず「家庭で働く者」であるということです。だから母親は、家の外で職業につく場合、自宅の責任を決して怠るべきではないのです。主、夫および子供は、いつも彼女の愛情と献身において第一に優先されなければなりません。彼女の仕事(どうしても彼女が仕事に就かなければ ならない場合でも)は、必ず上記の三者の後の四番目に位置付けされるべき事柄なのです。
家に子どもがいない既婚女性は、それほど不自由なく仕事に行くことができます。通常、小さな子供のいる母親が最近働きに行く理由は2つあります。
1.生活のために。
夫の所得が家族のニーズを満たすには不十分なため。
2.贅沢な生活のために。
夫と妻がより高い生活水準を享受したいため。
神の前で、その理由が生活であると正直に言えるのであるならば、神は家族に関わるあなたのどんな責任にも特別な恵みを与えてくださるでしょう。しかし、本当の理由が贅沢であるならば、あなたが本当に危機的状況にいることを警告しなければなりません。
あなたは、何年も後にあなたの子供が家を離れて神に無頓着になり、神にとって何も役に立たなくなるという 結果を見ることになります。その後、それに対して何か対処しようとしても遅すぎるでしょう。私はただ経験したことだけを話しているのです。
私の妻は医者として働いていました。最初の息子が1969年に生まれました。その当時の私は、毎月、本当にわずかな収入のみを得ていました。しかし、それでも私たちは、妻が仕事をあきらめ、家族を見守るために自宅にいることを決めました。
その後二十八年間、彼女は仕事をしたことはありませんでしたが、自宅にいて、 四人の息子を育て、主を愛し従い通しました。その結果、今日、私たちは四人の全ての息子が生まれ変わり、バプテスマを受け、主に従い、主の証し人となりました。それは私たちにとって大きな喜びです。その祝福は、私の妻が仕事を辞めずに二十八年間医者として得たであろう三〜四百万ルピーをはるかに上回るものです。
今の今まで、私たちには全く後悔はありません。私たちは、このように証しすることで、主の御心を求め、主に従いたいと思う母親たちを励ましたいのです。
また真の弟子は、買い求める雑誌や書籍、家族が見るテレビやビデオ番組の種類にも注意を払うべきです。
家の頭である夫は、世俗的なものが家の中に入ることがないように、厳格な門番のようでなければなりません。
夫は、各製品を検査し、それを証明する工場の品質管理部門の長のようでなければなりません。
親が、子供たちに主の弟子になって欲しいと願う場合、 子供たちの気まぐれや幻想に決して屈してはなりません。それは愛でもなく、ただ主に対して愚かで不誠実であるからです。
教会の強さは、各家庭の強さの中にあります。家庭が弱い場合、教会は弱くなります。教会の強さは、大きな騒音や心踊るような歌、または素晴らしい説教にあるのではなく、その教会を構成する家庭の敬虔さ、神聖さにあります。
私たちがこのような家庭を築き、私たちの主に栄光を与えることができますように。