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バランスの取れたクリスチャンの生活には、三つの方向があります。

1.上向き - 神と主イエス・キリストを礼拝し献身する。

2.内向き - キリストの栄光を求めていくうちに、自分の中で反キリスト的な部分を発見し、それを悔い改める。

3.外向き -地上で神の御心を行い、他の人々に祝福を与える。

1.上向き

 神はまず初めに、私たちを礼拝者として召されました。神をただ求め、飢え渇くという事です。霊的な考えの人は、神を礼拝します。彼の望むものはただ一つ、神だけです。彼は、地上でも天国でも、神以外の何物も誰も望みません。(詩篇73:25参照)

金銭やこの世の名誉は、彼にとって全く魅力のないものです。鹿が水を追い求めるように、霊的な人は神を慕い求めます。渇きで瀕死の状態にありながら、水を探し求めるかの如く神を求めます。彼は、この世の快楽や安らぎよりも、神との交わりを切望します。彼はまた毎日、神の御言葉を聞きたいと心から願います。

 お金、この世の快適さ、そして自分の利便性を追求する人々は、常に物事や人々に不満を抱きます。しかし、霊的な考えの人には不平不満がありません。なぜなら、彼は、神だけを望み、彼にはいつも神がいてくださるからです。彼は、自分の人生のどんな状況においても、決して失望することはありません。彼は、いかなる時も常に神の前にへりくだり、喜んで神の御手の下に身を置きます。

 そのような人は、自分の人生を制約する律法や規則を必要としません。

なぜなら、聖霊が常に彼の内側に働き、導いてくださるからです。彼は「善と悪」という人間の分別によっては生きません。彼は、ただ純粋にキリストへ献身しているので、二次的な問題には左右されません。

そのような人は、イエスを見上げながら、ますます主のように変えられていきます。

 神を見上げる人は、常に謙虚になることができます。彼は、自分の善い行いを人の目から隠そうとします。

神は、彼に絶えず恵みを与え、そして彼は罪に打ち勝ち、そして天の御父とますます緊密な関係を築いていきます。

2.内向き

 上向きに見る人は、次に自分の内側を見ます。イザヤは、主の栄光を見るとすぐに自分の罪深さに気づきました。(イザヤ6:1-5)ヨブ、ペテロとヨハネについても同じです。(ヨブ42:5、6;
ルカ5:8; 黙示録1:17)

私たちが神の臨在の中で生きる時、私生活の中で、思いも依らない反キリスト的な部分を自分の中に発見します。そのように、霊的な人は、絶えず自分の無意識の罪という潜在的な領域に焦点を当てようとします

彼は、自分という個性を見るのではありません。それは、落胆、失望に繋がるからです。彼は、神を見て、彼の人生の無意識の罪に目を止めるのです。そうすることで、彼は励まされ、決して失望することはありません。

 そのような人は「神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。」(使徒24: 16)と書かれています。

ビジネスマンが、より多くの収益を上げようと最善を尽くすように、そして研究者や科学者が、何か新しい発見をしようと最善を尽くすように、霊的な人は、常に明確な良心を保とうと最善を尽くすのです。

 また、霊的な人は、絶えず自分を裁きます。なぜなら、彼は、清くするべき多くのことを自分の中に見つけるからです。それは、他の"信仰者"と言われている人たちが全く気にしないようなことです。そして彼は、神にとって有益な自分になることを目指し、それを阻むものに対して、日々死ななければならないということを心得ています。ですから、彼のライフスタイルは、毎日十字架を背負うことだけです。−いつでもイエスの死をこの身に帯びています−
(2コリント4:10)

彼は、年上の人であろうと年下の人であろうと、何もためらうことなく、誰の前でもへりくだることができ、誰に対しても直ぐに許しを求める事ができます。

彼は、妻、兄弟、隣人を問わず、たとえ一人でも傷つけてしまったならば、彼の祈りと奉仕は、決して神に受け入れられないことをよく理解しています。そして、彼が誰かを傷つけたことに気付くと、直ぐに次の御言葉を実行します。「供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物を捧げなさい。」(マタイ5:23、24

3.外向き

上向きと内向きに見る人は、次に外向きに見ることができます。

 霊的な考えの人は、他の人に祝福をもたらすために、神が自分を祝福されたということを知っています。

神は、彼を許してくださったので、彼は、喜んで直ぐに自分を傷つけた全ての人を許すことができます。

神は、自分にとても良いことをしてくださるので、彼は他の人にも良いことをします。

神から多くのものを無償で受け取ったので 、彼は他の人に無償で与えます。

彼の人生における全ての神の祝福が、彼を、人々に恩恵を与える人に変えていきます。

 神は、堕落した人を気遣います。神は、彼を助け、祝福し、立ち上がらせ、サタンの束縛から彼を解放します。霊的な人も同じことに興味を抱くのです。ですから、彼は、イエスのように周囲の人々に仕えようと努めます。人々によって仕えられることは望みません。

イエスは、人々に最善を尽くし、サタンに縛られた人々を自由にされました。(使徒10: 38)霊的な人も同じことをします。

 また、霊的な人は、自分の奉仕を通して、お金や名誉等、他人から何かを得ようとは決して思いません。彼は、自分の人生と働きを通して、神にならい、他人を祝福することだけを求めます。
彼は、誰からのどんな贈り物も決して期待しません 。なぜなら、彼は、神が自分の必要を満たしてくださると確信しているからです。

 このように、真に霊的な考えの人の視点及び視線は、上へ、内へ、そして外へと三方向に向いていることがお分かりになっていただけたかと思います。

もし、人が上方向だけを見るならば、 非現実的で "地上の生活を全く顧みない、地に足がつかない聖者"になってしまいます。

彼が、内方向だけを見るならば、彼はただ自分に失望するだけです。

そして彼が、外方向だけを見るならば、彼の働きは、浅はかで表面的なもので終わります

しかし、霊的に生きる人は、常に三つの方向を全てを見て、そして、三方向全てに向いて生きています。

新年、私たちが、このバランスのとれたクリスチャン生活をおくれるよう、神に祈ってください。