「彼女の麗しさを心に慕ってはらない、そのまぶたに捕えられてはならない。遊女は一塊のパンのために雇われる、しかし、みだらな女は人の尊い命を求める。」(箴言6:25、26)
聖書全体の中で「情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。」と説くマタイの福音書5章28節に、最も近い内容を持つのがこの箇所(箴言6章25節)です。これは「新約」を予示するものでもあります。知恵は、姦淫が心の中から始まることを警告しています。それは、異性の美しさを「ただ愛でる(感心する)」ことから始まるのです。私が、このことについてなぜ強調したいかというと、美しさを愛でることには何の問題もないと教えるクリスチャン(信者)がいるからです。彼らがそう考えるのは、心に神への恐れがないからです。しかし神の御言葉は、「心の中で彼女の美しさを慕ってはならない」と告げています。
あなたは外見的な美しさについて、間違った理解をしていませんか?箴言31章30節は、外見の美しさは空虚でむなしいものだと言っています。若い男性の皆さん、これだけは言っておきます。外見の美しさが空虚でむなしく、無益なものであると心に留めておかなければ、いつかそれに騙されることになるでしょう。間違った相手と結婚し、そのせいで生涯苦しむことになるかもしれません。「自分は情欲を抱いているわけではない。ただ美しさを愛でているだけだ。」と言って、美しさに目を向けてはいけません。それは恐ろしい自己欺瞞であり、神はそれを見抜いておられます!神は、そのような男性たちを宣教の働きに召しておられたかもしれませんが、彼らを脇に置き、こう言われるかもしれません。「あなたには任せられない。本来なら働きを委ねることもできたが、あなたは目で遊ぶようなことをし、信仰者だと自称し、『新しく生ける道』について語りながら、この点においては心が定まっていなかったのだから!」
心の中でさえ、彼女の美しさを慕ってはなりません!これは姦淫そのものの話ではありません。単に、女性の外見的な美しさを愛でることについて言っているのです!それさえも愛でてはならない、と聖書は言っているのです。もし、そうする意思があるならば、慕ってはいけません、それが知恵です。気をつけてください。
この聖句には「彼女のまぶたに捕らえられてはならない」とあります。神の御言葉は実に現実的です。ここには、若い男性を虜にしてしまうような、女性の目つきやまなざしについて書かれています。だからこそ、サタンは現代の女性たちに、より魅力的に見せるために、色とりどりの派手な化粧品を用いてまぶたを彩る(化粧する)ことを教えました。
もしあなたが、「手に獣の刻印」を欲しがるようなタイプだとしても、教会では「良い証し」でいようとして、無色透明な化粧品を目や唇、あるいは顔全体に塗り、自分を魅力的に見せているかもしれません。しかし、ここには「彼女のまぶたに捕らえられてはならない」とあるのです。
顔を化粧した女性について語っている、列王記下9章30節の箇所をお見せしましょう。それはイゼベルのことです。彼女については、ヨハネの黙示録2章にも書いてあります。テアテラの教会の中に座っているイゼベルについてです。
列王記下9章には、エフーがイズレエルに来たとき、それを聞いたイゼベルが目に化粧をしたと書かれています。キリストの何百年も前からマスカラが使われていたことを知っていますか?それは20世紀の発明品ではありません。
イゼベルこそが、その製品を使い始めた人物なのです。彼女は目を化粧し、髪を整えました。きっと顔の他の部分も化粧して窓から外を眺めていたのでしょう。するとエフーは33節で「彼女を投げ落とせ!」と言い、彼らは彼女を投げ落として殺しました。彼は化粧した顔に心を動かされませんでした。あなたもそうあるべきです。エフーは神を恐れる人ではありませんでしたが、それでもそうした誘惑に打ち勝つことができたのです。
顔の化粧、特にまぶたの化粧に関しては、十分に気をつけてください。ソロモンのように、私もまた、若者たちに対して異性との関係には特に慎重であるよう、繰り返し警告せずにはいられません。もしあなたが神の言葉を恐れ、それを真剣に受け止めるなら、その言葉はあなたを、サタンの使いとなってあなたの人生を破滅しかねないあの女から守ってくれるでしょう!たとえ、サタンがあなたの人生を完全に破滅させることに失敗したとしても、彼は少なくとも、「神の人」として神に用いられるあなたの霊的な価値を台無しにしようとするはずです!
救われていながら女性関係で道を踏み外し、神が与えてくださるはずだった働き(ミニストリー)をすべて失ってしまった人々がいます。これは私たちが真剣に受け止めるべき問題です。「私の罪は赦されている」と言うだけでは不十分なのです。永遠の世界に立ったとき、神があなたのために用意されていた働きがあったのに、異性関係に慎重さを欠いたという理由だけでそれを失ってしまったと知る場面を想像してみてください。ほんの些細な女性との快楽のために、永遠の時を栄光あるものにできたはずの働きを失い、地上での愚かな振る舞いのせいでそれを逃してしまったと、永遠の場で気づくことを考えてみてください。その日、多くの人々の心にどれほどの後悔が去来することでしょうか。