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1.大きな心を持つ

 アモス書には、決して現わされることのない二つの表現があります。それは「イスラエルの神」と「イスラエルの聖なる方」です。これは、アモスが神をイスラエルだけの神ではなく、全ての国の神であると見なしたからです。 アモスは神の言葉を引用しています。

 「イスラエル人よ、あなたは私にとって、自分達がエチオピア人よりも重要だと思っているのですか。確かに私はあなた方をエジプトから連れ出しました。しかし、私はペリシテ人をカフトルから連れて上り、キルからアラム人、すなわちシリア人を導きました。そして、私はあなたをエジプトから連れ出しました。あなたと彼らの間に何か違いがあるでしょうか。」

(アモス9:7参照)

 アモスは、あらゆる国の全ての人々を受け入れる「新しい契約」のビジョンを持つ預言者でした。彼は、神がユダヤ人と共に異邦人をも集めて、それら全てを一つのからだにすると信じていました。アモスは、イスラエル人の狭い視野の上に立ち、世界中の人々を基準とした広い心を持っていました。彼は「私たちは神が受け入れた唯一の民である」と言う、他のイスラエル人ように独占的ではありませんでした。

 今日も、地上で神の民として選ばれたのは自分だけだと思い込んでいる、多くのクリスチャングループがあります。実際、彼らのそのような態度は、彼らがカルトグループかどうかを識別するべく特徴の一つです。当時、イスラエルにもそのような人々がいました。しかし、アモスは彼らとは違い、非常に寛大な心を持つ人でした。

 神の真の僕(しもべ)は、どのようなグループや宗派でも、神の民を受け入れることのできる大きな心を持つ人です。バビロンは、どの宗派にもみられる信念ではなく、私たちの心の内側にある、この世的な観念ということです。

 人々が、世界で最も素晴らしい教会に在籍しながらも、バビロンの一角になるという可能性は大いにあります。なぜなら、バビロンはその人の霊の中に作られるからです。そのような人は、自分はどの宗派にも属さないので、バビロンから解放されていると自負しているかもしれません。しかし、そうではありません。

 例えば、あなたがお金を愛するならば、あなたが世界のどの教会に属していようとあなたは立派なバビロンの一員です。

 あなたが肉の欲望に従って生きているならば、世界のどの教会に行こうともあなたは"遊女"に違いありません。

 あなたは、純粋に御言葉に基づいて「私たちはマリアを崇拝しないし、乳児の洗礼も行いません…」と誇らしげに語るかもしれません。それはそれで良いでしょう。しかし、富に執着し、自分の欲望を優先しているならば、あなたの状態は、実際、それらを実践している人々よりも悪いのです。彼らには考え方の問題(教義)がある一方、あなたには、彼らよりもさらに深刻な心の問題(いのちそのものに関わる)があるのです。

 今日のキリスト教会には、神が自分達の小さな集団のみを気にかけておられると考える、独占主義的な考え方があります。キリストのからだは、どんな宗派よりも大きいのです。今日、神の民は、一つの宗派の中でのみ見つかることは決してありません。神は、あらゆる宗派の中に、神の民を所有されておられるのです。色々な教義、数多くの教会の中に信仰者がいます。実際のところ、私は、多くの教会の教義に同意はしません。

 しかし、私は神がそのような多数の教会の中に、幾人か、神の子どもを手にしておられるという事実を否定することはできません。同じように、主(おも)に教会内の二代目、三代目の世代の人々ですが、福音派の教会で会員として座り、別の"集合体"として聖餐式に参加している、実際には回心していない人々の群れもあります。

 私達は今日、アモスのビジョンを参考にしなければなりません。神は、あらゆる国の人々や、あらゆる宗派の人々を罰し、全ての国と全ての宗派から神の民を集められます。

2.預言の言葉を大切に

 アモス8:11、12には、最後の日々について、これらの預言的な言葉が書かれてあります。

「最後の日には飢饉が起こるでしょう。パンの飢饉ではなく、主の御言葉を聞くことの飢饉があります。人々はさ迷い、主からの言葉を探し求めます。」

 私たちは今日、その飢饉を目にしています。 神の御言葉は、通常、聖書を意味します。 そして、聖書の部数が不足しているわけではありません。聖書協会は、毎年、何百万もの聖書を配布しています。そして聖書はまだ世界で最も売れている本でもあります。

 しかし、ここでいう「主からの言葉」は、時に応じて必要な 、神のみ口から語られる、預言的な御言葉を指しています。 終わりの日には、滅多に主の言葉を聞くことができなくなるでしょう。

人々は、真の預言を聞くために至る所をさ迷います 。しかし、彼らが真の預言者を見つけることは、そう簡単ではありません。ですから、あなたが主から預言的な言葉を聞く機会を得たならば、注意を払い、しっかりと耳を傾けましょう。そして、それらの言葉を真剣に受け止めてください。

3.栄光ある約束

 アモス9:13では「見よ、その日が来る。」「耕やす者が刈る者に近寄り」と主が宣言されています。これは何を意味するのでしょう。私たちは、過去にたくさんの悪を蒔き、そして私たちは許されましたが、未だ、私たちは、自分が蒔いてしまったものに対しいくらか刈り取っています。しかし、あなたが(真の弟子になり)あなたの人生で蒔き始めた新しいものが、(あなたの過去の過ちのために)あなたが刈ってきたものを一掃する時がやがて来ます。

 例えば、あなたが過去にたくさんの猥褻なものを目にしてきたことで、あなたの心を悩ませてきた汚い考えや夢は、次第に霊的な事柄に関する考えや夢へと置き換えられていくでしょう。 そしてあなたの人生は神にとって実りあるものとなるのです。なんと素晴らしい約束でしょうか。ハレルヤ!