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黙示録3章によると、フィラデルフィアの教会は、神に忠実な教会であったことがわかります。長老が忠実だったので、教会も忠実であることができました。主は彼らにこう言われました。

「私はあなたの前に誰も閉じることができない開いた扉を置いた」(黙示録3:8)

主が私たちのために扉を開いてくださる時、誰もそれを閉じることはできません。主は言われます。

「私は鍵を持っています。私は開き、だれも閉じることはできません」(黙示録3:7参照)

私たちは、どんな扉も激しく叩く必要はありません。私たちがドアに触れなくても、主ご自身が、私たちにとって最もふさわしいドアを開いてくださいます。それらは近づけばすぐ開く、空港などで見る自動ドアのようなものです。

 あなたは、自分のためのミニストリーのドアを探していますか。そしてそのドアを自分で開けようとしていますか。また、そのドアを開けようと、誰か影響力のある人を探そうとしていますか。他の誰かが持っているミニストリーを羨ましく思っていますか。しかし、これらのことは悪です。

 どんな些細なことに関しても、神に忠実になれば、必ず神が正しい時に、正しいミニストリーの扉をあなたのために開いてくださいます。そして、たくさんの間違った扉を通りながら、時間や人生を無駄にすることはありません。

  神だけがあなたのために扉を開けてくださるよう、神に信頼しましょう。そして主は、ご計画された場所へ、一歩一歩着実にあなたを導いてくださるでしょう。

 ある国に向かっていた道中、主は私にこう言われたことがあります。「あなたがそこへ向かっていることを、その国の知人に知らせてはいけません。ただそこへ行きなさい。」実際、私はそこに行き、何もミニストリーをせずに 戻ってきました。

 この出来事によって主は、私が主に従うかどうかをお確かめになったのです。その国に再度行った時、主は、私が知らなかった人々にも多くの扉を開いてくださいました。このような場所が、正に、主が私に行って欲しいと願っておられた場所でした。

 その後も、主権者でおられる神が、正しい扉を開かれるのを何度も見ました。もし私が、あの時、自分自身のためにミニストリーを行おうと、自分でドアを開けようとしていたら、私は神の御心を完全に逃していたことでしょう。

 ですから、絶対に自分の力で先に進まないでください。神を待ち望み、あなたにとって最良の扉を、神に開いていただくべきです。フィラデルフィアの教会のように、あなたにもほんの少しの力があるかもしれません。しかし、あなたが神のことばを守り、神の名を否まないならば、主があなたを愛していることを、神はサタンにお示しになります。(黙示録3:8、9)

 また、主はフィラデルフィアの教会にこう告げられました。「わたしは、すぐに来る。あなたの冠を誰にも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持ってなさい。」(黙示録3:11)

 主が、私たちにミニストリーをくださる時、私たちはそれを達成することに熱心でなければなりません。さもなければ、神はその奉仕を他の誰かにお与えになり、その人があなたが得るはずだった冠を主から受け取ることになります。 だから主に忠実になりましょう。

 主は勝利を得る人々を「神の聖所の柱」とされます。(黙示録3:12)

柱は建物を支えるものです。サムソンが二本の柱を倒した時、建物全体が倒れました。教会全体を支える長老が二人しかいない教会があります。彼らが霊的に死んでしまえば、教会も死んでしまいます。神は、ご自分の教会にたくさんの柱を必要としておられます。あなたが私生活の中で、また思考において、罪の克服を求めていくならば、必ずあなたはその柱になることができます。